この日記にちょっとだけ書いたこと。
ご飯を作ってあげたいって、きっと愛だ。そう思っていたら、土井善晴先生の記事に「料理をすることは愛すること」と書いてあり、確信に変わった。
自宅に恋人や友人を招いて、おうち居酒屋をするようになった。メニューも作り、お通しや〆の一品も考える。その日の料理の構成を考えているときや、スーパーで買い出しをしているとき、恋人や友人が到着するまで待っているとき、料理を作っているとき、そんなときに常に頭にあるのは「どうしたら喜んでもらえるか」だ。
「料理をすることは愛すること」に気付いたのは、くだらなくて無意味な日々の中だった。恋人以外の男の子が家にきても、料理を作ろうとは思わない。寧ろ料理はしたくない。コンビニで買ったつまみや、適当なお菓子でいい。「ご飯、何する?」と尋ねられても「外で食べたいなあ」と答えていた。
でも恋人は違う。恋人に料理を作ってあげるのは楽しい。なんにも苦じゃない。朝早く起きてお弁当やお握りを作るのも。
なんでだろう、なんで恋人の為に料理をするのは楽しくて、他の男の子に料理を作るのは躊躇うのか。暫く考えて「ご飯を作ってあげたいという気持ちは、愛なのかもしれない」と思った。その人のことを想いながら料理をする。料理をしていると、自然とその先の相手のことを想っている。好き嫌いのことを考えたり、味付けの好み、野菜を多めにするだとか。それは愛だろうなあと思う。
食べることは生きることだ。わたしたちを作り上げる、最も重要な営みだとを思う。相手のために料理をするのは、もしかして「生きて欲しい」からなのかもしれない。最終的に辿り着くのは。
料理で愛を伝える。それが一番わたしにしっくりくるやり方で、唯一の特技だから。
365
0コメント